ウィストン・キャスター・ホワイト

 血迷って煙草に手を出してしまった。煙草なんて流行らないものに絶対に手なんか出すまいと思っていたのに、気が付いたらコンビニのレジで「○○番下さい」と店員に告げていた。恐らく、夏から秋にかけて自分が身を置いていた環境の影響が大きい。(演劇の世界はなぜか煙草を吸っている人が多い。)

 「ウィストン・キャスター・ホワイト」

好きなミュージシャンがかつて、自分はキャスターを吸っていると言っていたことを思い出しこの銘柄にした。バニラの甘い味がするとも言っていたが、なるほど、確かに口にした瞬間微かにバニラのような味がする。しかしそれは一瞬で、たちどころに煙たい風味に変わってしまう。

「さて、火を付けて吸ってみよう」ということで、これもまた煙草と合わせて購入したライターで火を付けようとする。左手の親指にグッと力を入れて押してみるがしかし、ライターはびくともしない。今度は両手を使って付けてみようとしたがこれもまた不発に終わってしまった。はあ?ここまで順調な流れだったになんなんだおい!お子様は煙草吸うなってか!?(事実コンビ二で年齢を確認された。)しばらくライターと熾烈な争いを繰り広げていたが、それがいかに不毛なことであるかを悟り、大人しくマッチで火を付けることにした。

マッチを擦る。火がボワッと付いたことにややおののきながらも、なんとか煙草に火を付ける。ゆっくりと吸う。すると口の中に煙が流れ込む。ただ煙たい風味しかしないが、思っていたほどではない。しばらく煙を口の中にとどめてから、一気に吐く。暗闇が煙の白さを際立たせる。

「なんだ、案外吸えるもんだな」と調子に乗ってもう一本吸ってみたが、今度は煙を吸い込み過ぎてしまい大いにむせた。何事も調子に乗るのものではない。

 それからも一週間ほど毎日夜になるとベランダに出て煙草を吸った。だいたいいつも煙たさしか感じなかったが、それでもたまに煙が入ってくることを気持ちよく感じる瞬間があり、「そうか、これが煙草がうまいということか~」などと一人で勝手に合点していた。

 私はこうして愛煙家になった、と締めくくりたいところだが残念。肌が荒れたので煙草なんかもう二度と吸いません。吸うもんじゃないです。

 

2020/10/23 雨

インフルの予防接種を受け損ね、家で甘すぎるオートミールのお粥を食べながら。
 

 

消えない

  川のある街と言われて真っ先に思い浮かぶのが日ノ出町だ。

来るたびに日ノ出町を流れている大岡川の側を散歩している気がする。人があまりいないところとか、あとはアーチ型の橋が架かっているところなんかも良い。

 昨日、横浜美術館で開催されているコレクション展を回っていたら、戦後間もない頃の日ノ出町を写したと思われる写真に出会った。作品のタイトルに日ノ出町という地名は使われていなかったが、そこに写っている橋を見て、瞬時にこれは日ノ出町だと確信した。街の姿は現在とは随分違っていたが、アーチ型の橋だけは変わらぬ姿で佇んでいた。

 調べたところによると、この橋は長者橋と呼ばれており、その始まりは江戸時代まで遡る。関東大震災で焼失後、昭和の初めに現在のようなアーチ型の橋になった。

 その後もこの橋がある日ノ出町・黄金町界隈は激動の時代を歩んでいく。戦後には大岡川沿岸に集まったバラック小屋の中から売春を行う宿が現れ、やがてそこは青線地帯として名を馳せるようになっていった。

売春宿だけではない。大岡スラムと呼ばれたこの地はヒロポンやヘロインなどの麻薬密売の温床でもあり、密売組織による縄張り争いが頻発していたそうだ。

 青線地帯であるこの地が摘発の対象となったのは2000年代に入ってからで、バイバイ作戦と呼ばれる違法飲食店取り締まり活動により、売春を行う宿は日ノ出町・黄金町界隈からすっかり姿を消した。今ではその跡地にギャラリーや古書店などが立ち並んでいる。

 この街に来ると感じるうら寂しさの訳が分かった気がする。それは、かつてこの地が社会が落とした影の最も濃い場所であったことと関係しているのだろう。染みついた影は、そう簡単には消えない。これからもずっとついて回るだろう。

 しかしこれまで勝手に親しみを感じていた長者橋だが、ずっとこの地で街が変わりゆく様子を見ていたとは。全くもって頭が上がらない。

 

30分

 正月に土手を歩いていたら、背後から"タッタッタッタ"という足音が近づいてきたのでふと後ろを見てみたのだがそこに人の姿はなく、もう一度前を向いたら目の前に角ばった背中と黒い帽子を被った頭があった。あっと思っている間にも背中はどんどん遠くなっていき、やがてその姿は米粒ほどの大きさになり視界から消えてしまった。

足が地面を蹴って、前へ前へと進んでいく。それは軽やかなステップのようだ。

なんだか私も、走りたくなってしまった。

 ということで、最近少し走っている。1日30分ぐらい。しかし30分続けて走るのは厳しいので、15分走って少し休憩をしてからもう15分走っている。

走るときに聞くためのプレイリストも作った。いつも同じ曲ばかり聞いていると飽きてしまうので5つほど。全部BTSの曲です、ふふ。以下はそのプレイリストの中身である。

 

RUN 1

・Burning Up (FIRE)

・Dionysus

・21st Century Girl

・DNA

14分

 

RUN 2

・Fly toMy Room

・Dis-ease

・血、汗、涙(Japanese ver.)

・Answer:Love Myself

15分

 

Run 3

・ON

・Dynamite

・Lie

・FAKE LOVE

15分

 

Run 4

・血、汗、涙(Japanese ver.)

・Dis-ease

・Dynamite

・MIC Drop

15分

 

Run 5

・Make It Right

・MIC Drop

・Boy With Luv(Japanese ver.)

・Answer:Love Myself

16分

 

 1つにつき大体15分ぐらいなので、1つ終わったら次にどれを聞くかを考えながら少し歩いて、決まったらまた走り出す。結構楽しい。FIREから始まるとすごくテンションが上がって走るぞモードに火が付くし、MIC Dropのリズムに合わせると気持ちよく走ることができる。各曲でジンの歌声が聞こえてくると脳が溶けて足の痛みが和らぐ(気がする)。恐るべき推しの力を走りながら感じている。けれどこれだけプレイリストを作っても、やはり聞いている回数に偏りは出てくるもので、今のところはRun 1を一番よく聞いている。ガシガシ走りたいのかもしれない。(みんな、BTSはいいぞ~、良かったら聞いてみてね。私の周りにBTSが好きな人がいないのはちょっと寂しいので…。)

 走り始めたころは、太腿が日常生活に支障をきたすほどの筋肉痛になってしまい参っていたのだが、それも最近ではだいぶましになり2日連続走っても大丈夫になった。やった~。あと、走るようになって血行が良くなったのか肩こりが解消されつつある。まあこれは、最近風呂上りにストレッチをするようになったおかげでもあるのだけど。

 ちょっとずつ走る時間を延ばしてみようかな。でもまた筋肉痛になるのは嫌だなあ、しばらくはこのまま続けてみるとする。

 

ツーショットは撮らない

 恋人とのツーショットが苦手だ。以前一年半ほど付き合った人がいたけれど、その間に一緒に写真を撮ったのは、たったの二回だけだった。

その二回でさえ私から一緒に写真を撮ろうと声をかけたことはない。いつの間にか相手が構えたスマホに向かって笑顔を作る、そんな感じだった。

 その恋人の顔がとても好きだった私は、よく写真を撮った。でも、隣に並んで写真に写りたいとは思わなかった。

好きな人の好きだと思う顔の側に自分の顔があることがたまらなく嫌なのである。目に映るのは好きな人の姿だけでいい。

 ツーショットだけではない。付き合っていた人にスマホを向けられると、とっさに顔を隠したり逃げたりした。好きな人の視線に耐えられる自信がなかった。じっと見つめられるたび、しゅわしゅわと消えていまいそうな心地になった。一体今私はこの人の前でどんな顔をすればいいんだろう。スマホに向かって笑いかけたくても、その視線にどぎまぎしてしまう。

 それでもやはり好きな人に見つめられることほど幸せなことはない。けれどそれよりも私は、いつまでも好きな人を見つめていたい。見つめられることの幸せは、やがて嫌悪へと変わってしまうから。

 相手の眼差しから自分に対して向けられる愛おしさはやがて、相手を疎ましい存在に変えてしまう。ちょっとした行動や言葉、その全てから発せられる愛おしい好きという感情は、王子を蛙に変える。

「好き」は、ジトッとまとわりついて離れない。身動きを取れなくさせるとても気持ちの悪いものだ。

 私のことを好きだという人を私は好きになることができない。今まで付き合った人たちも、すべて私の一方的な好意に相手が巻き込まれて付き合うことになり、最終的には私が相手の好意を疎ましく感じるようになってしまい別れを告げた。

それは、私が自分の速度でしか動くことができないからなのだろう。相手の「好き」を受け入れるということは、相手の速度に合わせるということでもある。それが私にはできない。

 自分自身のことが少しでも落ち着いたら、人からの好意を受け入れることができるようになるだろうか。もっとも今は、自分自身のことを落ち着かせるために踏ん張らなくてはならない状況にあるわけだが。

 すとんと落ちすぎている肩。大きくはないけれどそれでも確かに丸みを帯びた胸と厚みのある下半身。曲線で形作られている体。それはつまり、私が女であるということ。

 体の形だけではない。体の内で生じる変化も私が女であるということを突き付けてくる。月に一度やってくる生理だが、最近、体に不具合が生じている。これまでそんなことは全くなかったのに、排卵日になると私の体は胃の中にあったものすべてを吐き出し、また、一切の飲み物や食べ物も受け付けなくなった。

生理の直前になると、体が火照り頭が痛くなる。これもまた、これまでにはなかったことだし、これらの変化と合わせ生理の周期も不安定になった。

 体という入れ物を、自分の手で選ぶことができたらどれだけ良いだろうか。体調の面ではもちろん、女である私という人間がどのように捉えられているのかということにおいても。

 ある人に「女性の若さなんてあっという間なのだから今のうちに遊んでおきなよ」と言われたことがある。ここでの「女性の若さ」というのはもちろん、身体的な面でのということだ。若さという言葉と身体は切っても切り離せない。

この言葉を発した人物は若いということに女性の価値を見出しているわけだが、それはつまり「女性の価値は身体にある」とも言えるのではないか。容姿と言い換えることもできるだろう。このような出来事は社会に出たら日常茶飯事なのだろうか。考えただけで虫唾が走る。

 話が少しそれてしまったが、上記の体験を含め女性の体を持っているとなぜか「若さ」でジャッジされることが多いように感じる。ミスコンや最近では女性アイドルグループもそうなのではないかと思う。

日本の代表的な女性アイドルグループである坂道グループが歌番組に出演しているのをよく見るが、若い女の子たちが「可愛さ」という枠内をはみ出すことなくパフォーマンスしているという印象を受ける。もちろん彼女たちの魅力はそれだけではないのだろうが。卒業という制度にも引っかかるところがある。彼女たちはなぜ卒業していくのか。自分の進むべき道を見つけたという理由もあるのだろう。けれどそこには「もう若くはないからここにはいられない」という側面も見え隠れする。(その点ジャニーズには卒業という制度がない。)

女性を見るときに、若さや可愛らしさに重点が置かれる点においてミスコンも女性アイドルグループも大差ないのではないか。両者がやっていることの根本は同じように感じる。

 女性の価値は誰の視点を通して形成されてきたのか。女性は誰に見つめられ続けてきたのか。若さや可愛らしさに付いて回る体はただの入れ物にすぎない。

 

 

 

マチルダ

髪の毛の癖が強い。

朝起きるといつも、四方八方好き勝手な方向にぴょんと寝癖が付いている。寝癖が付いている上に、さらにうねりも凄まじいことになっている。髪の毛を水で濡らしてドライヤーをしてからブロッキングして、横、後ろ、前髪とヘアアイロンで丁寧に伸ばしていく。直すのにどれだけ手間がかかることか。

毎朝毎朝こんなことはもうやっていられないと思い、1年ぶりに縮毛をかけた。カットもしてもらった。真っ直ぐでツルツルで、顎のラインにぴたっと揃った髪の毛。頭が軽い。もさっとしていない…!この嬉しさと言ったらそれはもう、すごい。

新調したボブヘアと、これまた新しく購入したグレーのカラコンを合わせてみる。映画レオンの中に出てくるマチルダになった気分だ。(レオン観たことないけど)ノリノリで銃を構えるポーズを鏡の前でしてみる。悪くない。

 

 

チルダはそのまま映画館へ向かった。レオンの物語の中へ戻るために?いいえ、彼女は物語の中に戻る気はない。現実の世界で強く生きていくことを決めた。映画はそんな彼女の束の間の楽しみなのだ。

 

 

 

発見

最近、地元が工場地帯であることを発見した。

今まであまり意識してこなかったのだが、地元周辺をよく散歩するようになって、そのことに気がついた。

川沿いから少しそれたところに一歩足を踏み入れると、そこには暗闇の中にカーンカーンという音と煌々と光を放つ製鉄所がある。さらにその少し先には、昆布や煮豆で有名な食品加工会社の工場がある。

私が知らない地元の姿。20年ここで過ごしてきたというのに、はてはて…。

それだけではない。ある出版社の支部やコンクリート製造(?)工場もある。その昔はカップ麺で有名な食品会社の工場や鉛筆会社の工事もあったのだとか。

ますます、はてはてとなってしまう。そんなにも多くの工場に囲まれて私は今まで過ごしてきたのか。

いつだか川崎の工場地帯にバイトに行ったことがある。バイトを終え夜外に出ると、目の前には工場たちが放つ無数の眩い光の連なりがあり、瞬時に心を奪われた。工場のある街、いいなあと思ったものである。

それがなんと、私、工場のある街に住んでいるんだよ。もちろん、川崎には到底敵わないけれど。だけどそう思うだけで気持ちが浮き立つ。

今日も今日とて夕方散歩に出かける。行き先はもちろん、暗闇の中光を放つあの場所だ。