すとんと落ちすぎている肩。大きくはないけれどそれでも確かに丸みを帯びた胸と厚みのある下半身。曲線で形作られている体。それはつまり、私が女であるということ。

 体の形だけではない。体の内で生じる変化も私が女であるということを突き付けてくる。月に一度やってくる生理だが、最近、体に不具合が生じている。これまでそんなことは全くなかったのに、排卵日になると私の体は胃の中にあったものすべてを吐き出し、また、一切の飲み物や食べ物も受け付けなくなった。

生理の直前になると、体が火照り頭が痛くなる。これもまた、これまでにはなかったことだし、これらの変化と合わせ生理の周期も不安定になった。

 体という入れ物を、自分の手で選ぶことができたらどれだけ良いだろうか。体調の面ではもちろん、女である私という人間がどのように捉えられているのかということにおいても。

 ある人に「女性の若さなんてあっという間なのだから今のうちに遊んでおきなよ」と言われたことがある。ここでの「女性の若さ」というのはもちろん、身体的な面でのということだ。若さという言葉と身体は切っても切り離せない。

この言葉を発した人物は若いということに女性の価値を見出しているわけだが、それはつまり「女性の価値は身体にある」とも言えるのではないか。容姿と言い換えることもできるだろう。このような出来事は社会に出たら日常茶飯事なのだろうか。考えただけで虫唾が走る。

 話が少しそれてしまったが、上記の体験を含め女性の体を持っているとなぜか「若さ」でジャッジされることが多いように感じる。ミスコンや最近では女性アイドルグループもそうなのではないかと思う。

日本の代表的な女性アイドルグループである坂道グループが歌番組に出演しているのをよく見るが、若い女の子たちが「可愛さ」という枠内をはみ出すことなくパフォーマンスしているという印象を受ける。もちろん彼女たちの魅力はそれだけではないのだろうが。卒業という制度にも引っかかるところがある。彼女たちはなぜ卒業していくのか。自分の進むべき道を見つけたという理由もあるのだろう。けれどそこには「もう若くはないからここにはいられない」という側面も見え隠れする。(その点ジャニーズには卒業という制度がない。)

女性を見るときに、若さや可愛らしさに重点が置かれる点においてミスコンも女性アイドルグループも大差ないのではないか。両者がやっていることの根本は同じように感じる。

 女性の価値は誰の視点を通して形成されてきたのか。女性は誰に見つめられ続けてきたのか。若さや可愛らしさに付いて回る体はただの入れ物にすぎない。