ツーショットは撮らない

 恋人とのツーショットが苦手だ。以前一年半ほど付き合った人がいたけれど、その間に一緒に写真を撮ったのは、たったの二回だけだった。

その二回でさえ私から一緒に写真を撮ろうと声をかけたことはない。いつの間にか相手が構えたスマホに向かって笑顔を作る、そんな感じだった。

 その恋人の顔がとても好きだった私は、よく写真を撮った。でも、隣に並んで写真に写りたいとは思わなかった。

好きな人の好きだと思う顔の側に自分の顔があることがたまらなく嫌なのである。目に映るのは好きな人の姿だけでいい。

 ツーショットだけではない。付き合っていた人にスマホを向けられると、とっさに顔を隠したり逃げたりした。好きな人の視線に耐えられる自信がなかった。じっと見つめられるたび、しゅわしゅわと消えていまいそうな心地になった。一体今私はこの人の前でどんな顔をすればいいんだろう。スマホに向かって笑いかけたくても、その視線にどぎまぎしてしまう。

 それでもやはり好きな人に見つめられることほど幸せなことはない。けれどそれよりも私は、いつまでも好きな人を見つめていたい。見つめられることの幸せは、やがて嫌悪へと変わってしまうから。

 相手の眼差しから自分に対して向けられる愛おしさはやがて、相手を疎ましい存在に変えてしまう。ちょっとした行動や言葉、その全てから発せられる愛おしい好きという感情は、王子を蛙に変える。

「好き」は、ジトッとまとわりついて離れない。身動きを取れなくさせるとても気持ちの悪いものだ。

 私のことを好きだという人を私は好きになることができない。今まで付き合った人たちも、すべて私の一方的な好意に相手が巻き込まれて付き合うことになり、最終的には私が相手の好意を疎ましく感じるようになってしまい別れを告げた。

それは、私が自分の速度でしか動くことができないからなのだろう。相手の「好き」を受け入れるということは、相手の速度に合わせるということでもある。それが私にはできない。

 自分自身のことが少しでも落ち着いたら、人からの好意を受け入れることができるようになるだろうか。もっとも今は、自分自身のことを落ち着かせるために踏ん張らなくてはならない状況にあるわけだが。